2年前の手紙


2年間出せずにいる手紙がある。困惑や寂しさ、ある種の怒り、そしてありったけの恋心を詰め込んだまま封かんしたきり、宛先も書かず、切手も貼っていない。正直詳しい内容は思い出せなくなってしまった。開けようとするとあの頃の新鮮で敏感すぎるわたしの気持ちがそのまま飛び出してきそうで鋏すら入れられない。捨てようとするとあの日のわたしが「そうやって忘れようとするの?」と問いかけてくる。




「初恋の人にそっくりな人を見つけた」


あとで見せるね、と高校時代の親友に話した電車の中で、彼の訃報を知った。



その時はとにかくわけがわからなくて、そのまま親友とご飯を食べた。その夜 実家から下宿先へと戻る新幹線の中で急に涙が止まらなくなって窓際の席でひとり声を殺してひとしきり泣いた。


あまりにも信じられなくて、なのに勝手に涙が出てくる日々が1ヶ月ほど続いた。インフルエンザになってもなお食欲の減退しないようなわたしが食欲不振で3キロほど体重が落ちた。毎晩布団に入っては彼がいない1日が当たり前のように終わってしまうことに絶望した。


彼の死に関して詳しいことが公になる前の心ない言葉の数々に吐き気がした。まだ受け入れられていないわたしが勝手に寒々しく受け取ってしまっていた彼への感謝の言葉に嫌気がさした。受け入れてしまうことがわたしの中の彼を葬ってしまうことになると思っていた。


わたしは彼の声が好きだった。特徴的な笑い方も大好きだった。そんな彼の最後の言葉がきっと、彼の友人に向けられた「助けて」という声だったのであろうと想像しただけでやるせ無い気持ちで眠れなくなった。明るい未来や美しい異国の景色を捉えていた彼の瞳が最後に捉えたものが自分を飲み込む渦だということを信じたくなかった。いつまでも、不謹慎でいいからドッキリであってくれ、どれだけ炎上してもいいから神妙な顔して頭でも丸めてまた現れてくれ、と誰にも言えずに身勝手に飲み込んだ。



彼の友人たちがわたしたちが知り得なかったことを少しずつ丁寧に教えてくれて、本当なら教えたくなかったようなことまで見せてくれて、ゆっくりと彼がいないという現実を頭に擦り込ませた。



行かなければ絶対に後悔するよ、と友人に背中を押されてお別れの会に足を運んだ。


しっかりとした喪服とまではいかないけど、ありったけの黒を纏って東へ向かった。啜り泣きが聞こえる会場内をゆっくりとひとりで歩いた。彼が存在していた証を横目に彼のメンバーカラーであり、トレードマークの髪色と同じ赤いガーベラを手向けた。手を合わせて目を瞑る。たった数秒、彼へ伝えたいことは山程あるはずなのに、とにかく幸せでいてほしいと願った。鼻がツンとして、タガが外れたようにとめどなく涙が溢れた。


足早に会場の外に出て、立ち止まって深呼吸をして、涙を乾かした。友人に肩を支えられながら歩いていく女の子がわたしの横を通り越していった。どんよりとした曇の隙間から少しだけ西日が差し込んできて、急にスッキリとした気持ちになった。会いに行って良かったと、心の底から思った。





永遠に22歳のあなたへ。


わたしは大学を卒業して社会人になったよ、パオチャンが活動休止したよ、平成から令和になったよ、消費税が10%にあがったよ、アルバム最高だったよ、タピオカブームは落ち着いたよ、4人のTwitterに公式マークがついたよ、わけのわからないコロナウイルスとかいうのが流行ってるよ、あなたが好きだった渋谷の街から人が消えたよ、総理大臣が変わったよ、ジョージとリサさんが結婚したよ、ディズニーの新エリアが完成したよ、水ボンが毎日投稿を辞めたよ。


今でもあなたのことが好きだよ。

本当はあなたのいる平成にいたいし、あなたと同じ22歳のままがいい。けど、止まる術なんてなかった。


そういえば、故人を懐かしんだ時、そちらではその人の周りに花が降るって聞いたことがあるんだけど、実際のところはどうですか?この前あなたの親友が新しい曲を出していたのだけれど、もしかしたら四六時中花に囲まれていてたりしたのかな。わたしがあなたを思い出したときは、あの日のあなたに手向けた赤いガーベラがあなたの元に降り注げばいいのになぁ。




アバンティーズ エイジくん
今もあなたの幸せを祈ります。




2021.01.04